大星神社がねらわれている!神社乗っ取り事件?!

2002年、大星神社の宮司である阿保氏が亡くなり、江戸時代から代々宮司を務めてきた阿呆家による継承が途絶えました。

翌年、香取神社売却事件(※)で知られる善知鳥神社の柿崎雅美宮司が、氏子総代全員の反対を押し切り、兼任宮司として就任。

その後、氏子総代と宮司、両者対立の火種を抱えつつも、工藤総代の責任役員就任後十数年は、神社に平穏な日々が戻りました。

しかし2019年、神社の修繕費捻出問題をきっかけに、柿崎宮司の本性があらわに。

宮司の企みを阻止しようとする氏子総代と、強硬な姿勢を崩そうとしない宮司との対立は再燃し、いまだ鎮火の兆しは見えていない状況です。

香取神社の悲劇を繰り返さないためにも、【柿崎宮司の宮司就任から今日までの言動】を通して、彼の本性や企み、大星神社が今置かれている状況を知っていただきたい。

そして、私たちの宝である大星神社を未来へつなぐために、氏子や青森市民の皆さんのお力添えをいただきたいと心から願うばかりです。

【2002年6月】

青森山田学園の木村理事長による乗っ取り未遂事件

2002年、大星神社の代々の宮司であった阿保氏が亡くなり、後継宮司がいなくなりました。引き継ぎをどうするかについて、氏子が集まり会議を開いた際、青森山田学園の木村理事長が現れ、「阿保家と縁があり貸金がある。今後は我々が神社運営を行う」と宣言したのです。

あまりに突然の話に氏子たちが戸惑うなか、ひとり異議を唱えたのが、当時氏子総代の工藤勇一さんでした。

「私は責任役員に選任され、責任役員の立場で話をしている」といった木村理事長の発言に疑問を抱いた工藤総代は、木村理事長を問いただしました。

その結果、木村理事長が神社規約を書き換えていた事実が判明。彼らはその場で謝罪し、大星神社から去って行きました。「これが第一回目大星神社乗っ取り未遂事件です。」

【2003年1月】

 氏子総代全員の反対を押し切り 善知鳥神社の柿崎宮司が兼任宮司に就任

その後、後継宮司問題はいったん白紙の状態に。そんな折、宮司候補として浮上したのが、善知鳥神社の柿崎雅美宮司です。

1989年に青森市内の香取神社を突如遷宮させ、翌年1月には東京の不動産業者に20億円といわれる金額で売却した宮司です。全国的に報道された重大事件。 当然、氏子総代全員が反対しました。

2002年10月頃、地元八ツ役町の会長、副会長、工藤総代らは青森神社庁に出向き、応対した猿賀神社の山屋宮司に対し、「大星神社の後継宮司を柿崎宮司にするのだけはやめてほしい」と申し入れました。 

すると山屋宮司から「地元が反対するのであれば、善知鳥神社から申請書類が届いても受け付けません」との返事をいただき、安心していました。

香取神社の跡地(現在は駐車場に・・・)

ところが2002年12月の年末からの大星神社例祭に御幣御札を柿崎宮司が用意した事を知り、調べたところ18名いる総代役員の何人かを柿崎宮司が抱き込み神社庁に大星神社兼務宮司として認めさせようとしている事が判明しました。

そこで念の為、総代会で柿崎宮司を推挙した事実は無いことを神社庁に対し、弁護士から内容証明で通知しています。この書面は現在もあります。

神社庁に内容証明を出したのが2003年1月22日です。その後の2003年2月6日 地元氏子の反対と大星神社総代会の反対を無視し、大星神社柿崎雅美宮司として登記簿に登記されました。しかも就任日を遡り2003年1月15日弁護士の通知が届く前の日を設定し就任日としています。

また、就任の公告を官報ではなく神社の掲示場に10日間掲示して行う。としていますが大星神社に掲示場や掲示板はありません。

その他に大星神社を巡っては、阿保氏が亡くなり混乱に乗じ神社庁職員の中館広一が阿保氏と取り交わしたという2001年8月1日譲渡予約契約書を取り出し、神社すべて自分に譲渡されていると主張し、阿保氏の預金通帳他すべて持ち去り、神社敷地に大手ハウスメーカーとマンションを建てる計画を進めましたが、氏子総代他が青森地裁に大星神社搾取事件として提訴し2005年氏子総代側が勝訴しすべて取り戻しています。

「これが第二回目大星神社乗っ取り未遂事件です。」

裁判費用は、氏子や東青神社200万、個人では木村隆文氏が200万を支援し裁判を闘いましたが柿崎宮司は全く支出しません。

2005年勝訴したあとの春の記念祭の直会で挨拶した柿崎宮司は裁判勝訴の報告をするとともに裁判費用は2,000万円かかりましたと発言したものですから参加者が口々に異議の声を上げ、直会は紛糾の場所に変わり出席していた地元代議士や多くの出席者は席を立ち早々に帰り始めました。
柿崎宮司が何を意図したかは皆知っていました。阿保氏宅地200坪を売却し裁判費用として手に入れることを考えていたのです。

その後、神社庁に対し「総代会で柿崎宮司を推挙した事実がないこと」を弁護士を通じて異議申立をするも、2003年1月、柿崎宮司が大星神社の兼務宮司に就任していたのです。

【2003年1月〜】

 あの手この手を使って 工藤総代を排除しようと企てるも…

こうした経緯から、柿崎宮司は工藤総代を目の上のたんこぶとして邪魔者扱いし、大星神社を支配するために、あの手この手を使って工藤総代を排除しようと企てました。

◉総代会議から工藤総代を外そうと企てるが…

総代会議を開催したときの出来事です。柿崎宮司は工藤総代には案内せず、数の力で主導できるよう、大星神社とは無関係のゴロツキのような人物を100人ぐらい集めて参加させたのです。

氏子総代の皆様と工藤勇一(写真中央)

開催を知った工藤総代が駆けつけたところ、柿崎宮司が「工藤は帰れ!案内を出していないのになぜ来るんだ!」と大声で叫び、議場は騒然。

すると横内町会長の長内さんが声を上げ、「なぜ工藤さんを帰らせるんだ!大星神社のために尽くしてる人ではないか!」と言い返し、役員全員が「入れ入れ」と口々に声を上げました。

こうして工藤総代は会議に参加。あのときあのまま帰っていたら、すでに大星神社はなくなっていたところでした。

◉川村町会長に工藤総代を外すよう依頼するが…

柿崎宮司は実弟を八ツ役町に出向かせ、町内会でも尊敬されていた人物である金沢さんに、「工藤勇一を総代から外すよう、川村町会長に頼んでくれ」と依頼しました。

しかし、川村会長は「工藤さんは大星神社のために尽くしてる人で、何も悪いことはしていない。総会で決まったことなので受け入れられない」と断っています。

◉秋の例大祭にヤクザを列席させて威圧するが…

秋の例大祭での出来事です。柿崎宮司はヤクザを列席させ、最前列である自分の隣に座らせました。工藤総代と対峙させるようにしたのです。その際、柿崎宮司は周囲に「これで工藤も終わりだな」と言ったそうです。

香取神社売却事件でもヤクザを使ったとして、悪評高い柿崎宮司。このときもヤクザを引き連れて秋の例大祭を挙行しました。場は白け、秋の例大祭の雰囲気ではありません。

何とかしなければと思った工藤総代はヤクザに向かって、「今から神事を行います。このような場に貴方は相応しくありません。お帰りください」と説得。すると彼らは退散し、二度と姿を現すことはありませんでした。

【2005年秋〜】

懐柔策として工藤総代を専任理事に要請 神社に平穏な日々が戻る

工藤総代を排除するのは困難と悟った柿崎宮司は態度を一変。今度は取り込もうと、工藤総代を専任理事という役職に要請しました。

工藤総代は専任理事を受けることで大星神社を守ることができると考え、引き受けることに。2010年には責任役員に推挙され、翌年大星神社敬神会会長に就任後も、大星神社のためにひたすら真っすぐ奉仕しています。

〜工藤責任役員が取り組んだこと〜

  • 本殿玉垣の修復工事。工事費用430万円を工藤責任役員が全額寄付。
  • 駐車場の整備工事。卸センターからの寄付50万円に加え、工藤責任役員が130万円を寄付。
  • 大鳥居の土地所有者から土地返却の申し入れがあった件について。工藤責任役員が3年間交渉を続け、大星神社に土地を寄付していただけることになった。
  • 大星神社の参道が市の認定道路にされていた件について。工藤責任役員が復旧に向け、財務省、法務省、市役所に出向き、4年間交渉を続け、大星神社の参道として地番を付けていただけることになった。
大星神社を上空から臨む

本来、こうした案件は宮司が先頭に立って折衝すべきですが、柿崎宮司は一切無関心で動こうとしない。にもかかわらず、彼は大星神社に報酬を要求し、受け取っていました。

とはいえ、2005年から十数年間は大星神社に平穏な日々が戻り、工藤責任役員と柿崎宮司の関係も、年に数回、酒を酌み交わすほどの良好な仲でした。

【2019年】

 神社の修繕費用捻出をめぐって 宮司と氏子総代の対立が激化

良好な関係が一変したのは、2019年のこと。「老朽化した神社の修繕費用を捻出するために、柿崎宮司の報酬を引き下げたい」と工藤責任役員が願い出たとき、柿崎宮司は激怒しました。

彼とて神社の劣化状態はわかっているはず。理解してくれるものと思っていたので、その激怒ぶりは意外でした。

大星神社の年間総収入は約360万円。そのうち270万円を柿崎宮司に支払います。また、大星神社での祈祷・お祓いは、柿崎宮司の部下の権禰宜が善知鳥神社から大星神社に来て行います。それらもすべて柿崎宮司の収入になります。年間わずか2時間程度しか大星神社にいない柿崎宮司に、毎年270万円以上、総収入の8割弱を18年間支払い続けてきました。

その後は「工藤責任役員とは話をしない」と伝えられ、他の総代役員全員に対して解任通知のような書面を出し、工藤責任役員に神社の明け渡しの裁判を提訴するなど、兼務宮司としての地位を利用した横暴ともいえる行動に出ました。

2019年9月12日に開催された役員会では、柿崎宮司が「8人の役員を新たに加えたい」と提案するも否決されています。現状6人の役員に8人が加えれば、多数決で柿崎宮司の思うままにされてしまいます。

そもそも神社は宮司1人のものではなく、すべてを宮司1人で取り仕切ることはできません。神社には大勢の氏子がいて、その氏子から総代役員を選出し、総代役員から推挙された者が責任役員を担い、それぞれの立場で神社運営に参加します。役割を果たせるよう神社規約もあります。

こうして各役員が協力し合い、神社は運営されています。宮司だからといって1人で物事を決めることは許されませんし、規約を勝手に変えることもできません。

柿崎宮司はそのことを十分理解しており、神社運営については氏子よりはるかに熟知しています。だからこそ、総代役員、責任役員を1日も早く入れ替え、自分の意のままになる役員で周りをかためようとしているのです。

 大星神社のもと 今こそ【想い】をひとつに…

これまでの経緯から、私たちは香取神社と同じ悲劇が大星神社でも繰り返されるのではないかという危惧を抱いています。

香取神社は毘沙門堂、大星神社は妙見堂といわれ、ともに地域の皆さまに愛されてきた古社です。香取神社の事件から三十年余りが経った今また、同じ柿崎宮司の企みによって、大星神社が存続の危機に瀕していることを、皆さんに知っていただきたいのです。

 ※香取神社売却事件とは…

1989年に起きた香取神社の土地売却事件。江戸時代から親しまれてきた香取神社は、青森市役所近くの街中にあり、約1000坪もの土地施設が20数億円とも噂される額で売却されました。

このときの宮司が現在、大星神社宮司である柿崎宮司です。 柿崎宮司は売却の前年に、

  1. 責任役員と総代の入れ替え
  2. 神社本庁からの脱退
  3. 神社規則の変更
  4. 香取神社遷宮の決定

などの手続きをすべて終了していました。

1989年の売却広告で事態を知った氏子の皆さんはすぐに反対運動をしましたが、時すでに遅し。香取神社は売却され、現在は駐車場となっています。

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 柿崎宮司の言動を振り返る 〜宮司就任から現在まで〜

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【2002年】大星神社代々の阿保家が途絶え宮司不在になった。後継宮司について地元氏子代表が神社庁に出向き、後継宮司を「柿崎雅美宮司にするのだけは反対」と伝え了承して貰う。

【2003年】1月、氏子総代何名かを抱き込み、総代会を開催しないまま勝手に神社庁に申請し、知らない間に大星神社兼任宮司として就任。

【2003年】宮司就任後直ぐに、はまなす会館で総代大会を工藤総代に知らせないで開催。総代役員18名であるのが約100人ぐらいを集めて開催。人夫、ゴロツキ様な人物多数。工藤総代が出席したところ柿崎宮司は「工藤帰れ!」と大声で叫び騒然とした総会になる。

柿崎宮司の弟を八ツ役町に向かわせ工藤雄一を総代から外すよう働きかけるも断られる。

【2005年】秋の例大祭にヤクザを列席させ工藤役員を威圧させ、「工藤も終わりだな」と周りに話すも失敗する。

【2005年】ヤクザで威圧するも失敗した為、懐柔策として工藤役員に専任理事という役職を要請。神社を守るため引き受け神社が平穏になる。

【2019年】神社修復費用捻出のため柿崎宮司の報酬を引き下げたいと工藤役員がお願いしたところ激怒する。

【2019年】柿崎宮司から総代役員を新たに8人加えたいと申し入れがあるが総代全員の反対で否決。

【2020年】柿崎宮司から総代全員と工藤役員に任期満了につき解任と通知するが総代会議で決めることであり解任は無効と返答。

【2020年】8月11日、柿崎宮司の部下で善知鳥神社権禰宜沼田が大星神社に入り本殿扉の鍵を付け替える。お盆を迎える前であり、氏子の多くがお詣りする時期をねらった犯行とみられる。

直ぐに神社庁に連絡し対応を相談する。神社庁は責任者の神社庁長が止めさせるため善知鳥神社に行く。柿崎宮司は居留守を使い出てこないため、権禰宜沼田に「鍵はすぐに外しなさい。神社は皆がお参りするところです。鍵をかける所ではない。すぐに外しなさい」と伝えて帰る。

8月18日、お盆が終わるも本殿扉の鍵は掛かったままのため総代役員、相談し警察に届ける。青森署から刑事他警察官数名来て警察官立会いで業者を呼び鍵を切断し元の鍵に戻す。

元の鍵に戻したにも関わらず柿崎宮司は合鍵がないから神社に入れないと難癖をつけてくるようになる。元の鍵は18年前青森山田学園の佐藤氏から柿崎宮司に手渡され使っている鍵であり、自分で鍵を付け替えるまで、出入りしていた鍵であるから、無い事は考えられないのですが、鍵を渡さないから年末からの御幣御札を売る例祭ができないと言いがかりをつける。

年末からの例祭を控え御幣御札を大星神社に持って来ない理由にされるのを回避するためと、確実に鍵を渡したことを証明するため、神社庁に相談した結果、神社庁長の工藤氏に鍵を預け、神社庁から柿崎宮司に直接手渡してもらうようにし、その際年末から年始にかけて大星神社で売る御幣御札と引き換えで渡す。ということにしました。

【2020年】12月18日午後3時、柿崎宮司と権禰宜沼田、他1名は青森市内の神社庁に現れ神社庁長、工藤氏から大星神社の合鍵を受け取りました。その際、御幣御札を持って来なく、「あとから持って来ます。」と伝えたまま約束を反故にしております。神社庁長も平気で騙す。これこそ柿崎雅美の真骨頂といえます。

【2020年】年末から年始にかけて大星神社にも多くの氏子が御幣御札を求めにお参りします。神社に御幣御札がないことを知り、皆さんがっかりしてお帰りになりました。総代役員他がお詣りした皆さんに事情を話しお帰りいただきました。

そうした年末年始の大星神社でしたが、神社隣りにある卸センターでは卸センターの了解を得て大星神社の御幣御札が売り出されているのには驚きました。柿崎宮司、善知鳥神社権禰宜沼田が大星神社の御幣御札を神社で売らないで卸センターで販売しているのには唖然とさせられました。神社で売らない御幣御札には魂がなく意味がありません。柿崎雅美は宮司ではないことを自ら知らしめています。